【東大】なぜ1、2年は全員、教養学部で学ぶのか

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東大に合格した人は全員、教養学部に入ります。東大は学生を、文科と理科で採ります。その他の大学のように学部ごとに学生を採ることをしません。そして、文科・理科に関係なく教養学部に配属されるのです。東大はこの仕組みを導入している理由を「リベラル・アーツ教育を提供するため」と説明しています。

本稿では、リベラル・アーツの意味を解説し、東大の意図を深掘りしていきます。このことを知ると「東大はやっぱり普通の大学とは違う」ことがわかるでしょう。教養学部の存在も、東大を東大たらしめています。

東大の教育プログラム「前期と後期、文科と理科編」

東大にも学部はあります。ただ学生は、最初から学部に入れるわけではありません。文科と理科には、それぞれ1類、2類、3類があります。東大受験とは、文科1類を受験したり、理科3類を受験したりすることであり、学部を受験するわけではありません。しかも、文科で入っても理科で入っても、入学生は全員、教養学部に入れられます。

東大の1、2年生は教養学部で学びますが、この2年間のことを東大では前期課程と呼んでいます。教養学部の2年間が終わると、学生の希望と2年間の成績によって、ようやく配属される学部が決まります。3、4年生の学部での学習と研究のことを、後期課程といいます。

ただ「類」によって行く学部が「大体」決まっていて、次のとおりです。
・文科1類:法学部、教養学部
・文科2類:経済学部、教養学部
・文科3類:文学部、教育学部、教養学部
・理科1類:工学部、理学部、薬学部、農学部、医学部、教養学部
・理科2類:農学部、薬学部、理学部、工学部、医学部、教養学部

・理科3類:医学部 理科3類を除くすべての類に教養学部があります。教養学部は前期の学生(1、2年生)に加えて後期の学生(3、4年生)にも教えています。教養学部には、全学生に教える教育と、専門領域の2種類の学問があるわけです。

後期にも教養学部がある

専門領域としての教養学部、つまり、後期課程としての教養学部には、教養学科、学際科学科、統合自然科学科などがあります。そのうち、例えば教養学科には、超域文科科学分科、地域文化研究分科、総合社会科学分科、国際日本研究コースがあります。

リベラル・アーツは「とてつもなく大きな学問思想」

東大が1、2年生全員に教養学部で学ばせるのは、リベラル・アーツ教育を受けさせたいからです。リベラル・アーツは「とてつもなく大きな学問思想」です。

リベラル・アーツの定義

東大教養学部のトップである教養学部長の石井洋二郎氏(地域文化研究専攻、フランス語・イタリア語)は、リベラル・アーツについて次のように説明しています(肩書は2019年10月現在のもの。以下同じ)。

古代ギリシアにまでさかのぼる概念で、人間が奴隷ではない自立した存在であるために必要とされる学問

(引用:http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/561/open/B-1-1.html

中世ヨーロッパでは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽のことを「自由七科」と呼んでいました。この7つの学問を修めると、人間を種々の拘束や強制から解き放つために必要な知識や技能を獲得できます。この7つの学問こそ、人が自由になるために(リベラルになるために)学ぶべき学問(アーツ)です。

より具体的な理解

自由七科が意味する概念は大きすぎて把握しづらいので、もう少し細かくみていきましょう。日本語しか話せない人は、英語しか話せない人とは意思疎通できません。物理学を知っていても法律を知らない人は、法律しか知らない人と深く理解しあうことができません。
これは学問上の不自由(非リベラル)といえます。

そのため、リベラルになりたい人は、日本語を習得したあとに英語を学び、物理と法律の両方を学ぶ必要があります。教養学部の「教養」は、ときに「何でも知っている人」と理解されることがありますが、リベラル・アーツの目標が、知識を薄く広く集めることでないことは以上の説明からも明らかです。

東大の前期課程で文科の学生が理系学問を学び、理科の学生が文系学問を学ぶのは、後期課程に入ると、文系と理系がくっきり区別され、さらに学部わけによって専門領域も定められてしまうからです。
そのため、東大生がリベラルになるチャンスは、前期課程の2年間にかかっているともいえるでしょう。

何を学ぶのか

教養学部は前期課程の学生に対し、さまざまな興味深い授業を用意しています。東大1、2年生が具体的に何を学ぶのかみてみましょう。ここではゼミナール方式の講義を紹介します。

ゼミとは

ゼミはゼミナールの略で、少人数で討議方式で学ぶ形態のことです。一般的な講義は、教授が教壇に立ち、座席に座っている多数の学生に学問を教えます。しかし、ゼミは、教授も学生も座っています。学生数は多くても数十人、少ないと2人ということもあります。そして、教授が出す課題に対し、学生が考えて答えを出したり、自分の考えを述べたりします。

社会科学ゼミでも教授によってこれほど違う

前期課程にある、社会科学ゼミを紹介します。社会科学は一般的には文系の学問と考えられていますが、東大の社会科学ゼミは、文科、理科を問わず、全1、2年生が受講することができます。

社会科学ゼミはいくつか用意されています。社会科学はとても広い学問領域なので、ゼミを持つ教授たちによって学ぶ内容はまったく異なります。

例えば、法学部の新田一郎氏の社会科学ゼミのテーマは「大学とスポーツについて考える」となっています。スポーツは今や、一大エンターテイメントであり一大ビジネスになっています。それはアマチュアスポーツであるはずの大学スポーツも例外ではなく、「がっちり」ビジネスに組み込まれています。そのことは、正負両方の影響を生み出しています。

このゼミでは、大学スポーツ問題の「先進国」であるアメリカのNCAA(National Collegiate Athletic Association)の仕組みを学ぶことで、日本の大学スポーツの諸課題を解決する糸口をみつけます。とても人気があるゼミで、15人の定員を超えて応募があった場合は、小テストをして選考します。

社会・社会思想史の橋本摂子氏の社会科学ゼミのテーマは「質的調査の方法」です。社会調査には量的調査と質的調査の2つがあり、このゼミでは後者について研究します。質的調査には、聞き取り調査、参与観察法、ドキュメント分析、ライフストーリー分析などがあります。

さらに「マニアックな」勉強もできます。国際関係の酒井哲哉氏の社会科学ゼミのテーマは「1930年代日本の国際秩序論」です。このゼミでやることは、1930年代日本の国際秩序論の関連文献を読んで、知識を深めることです。1930年の日本の、しかも国際秩序関連についてだけ学びます。

人文科学ゼミで何を学べるのか

続いて人文科学ゼミを紹介します。

文学部の葛西康徳氏の人文科学ゼミのテーマは「古典、現代社会、教養、教養区分」です。このゼミの学生は、葛西先生から古典作品を指定されます。学生はそれを読み込み、現代社会の問題にどのようにアプローチしていくかを考え、発表します。

つまり葛西先生は、古典作品にこそ、現代社会の問題を解決する鍵が隠されている、と考えているのです。さらにこのゼミでは、問題解決を目指しません。目指すのは、何が問題で、なぜ問題になっているのかを問うことです。

これはいかにも前期課程らしい研究といえるでしょう。問題解決は、学生それぞれが3年生になって学部に配属されてから、自身の専門分野で考えればよいのです。そのために1、2年生では、問題にアプローチするスキルを身につけるわけです。

人文科学ゼミにも「マニアック」な内容があります。

スペイン語の宮地隆廣氏の人文科学ゼミのテーマは「スペイン語多読トレーニング」です。「トレーニング(訓練)」としているように、スペイン語の基礎を学びます。初級文法を学んだ学生を対象に平易なスペイン語文章を、とにかく多読していきます。ただ、このゼミには気軽に参加できません。宮地先生は「出席しても予習をしていない者は欠席とみなす」と宣言しています。

自然科学ゼミで何を学ぶのか

ここまで文系のゼミを紹介しましたが、前期課程には理系のゼミもあり、こちらも文科の学生も理科の学生も参加できます。

アイソトープ総合センターの和田洋一郎氏の自然科学ゼミのテーマは「放射線に対する生物応答の分子機序と放射線利用の最先端」です。東大で研究されている、生命科学としての放射線、工学としての放射線、物理学としての放射線、数理科学としての放射線を学びます。
さらに放射線を使った先端研究の一端を知ることができます。

英語のゼミで何を学ぶのか

東大教養学部では英語教育にも力を入れています。

英語の後藤春美氏の英語中級ゼミのテーマは「20世紀両大戦間期イギリスの平和主義」です。Richard Overy著「The Morbid Age: Britain between the Wars」を講読します。歴史書を使っていますが、歴史の勉強ではなく、学生が1人で英文を正確に読めるようになることを目指します。

教養学部の2年間はロスであることは確か

教養学部ではさまざまなことを学べるので見識が広がります。それにより、東大を卒業して社会に出てからも「さすが東大生、何でも知っている」と評価されるようになるわけです。しかし、教養学部の2年間で専門以外の学問を学ぶことは、2年間にわたって専門のことを学ばないことでもあります。

例えば、他の大学の法学部生は、1年から法律を学びます。しかし、東大の法学部生は、3年生になってから本格的に法律を学ぶことになります。もちろん東大の1、2年生の講義にも法学関連のものはありますが、法律以外のことも多く学ばなければなりません。

つまり、専門分野を極めたい人にとっては、教養学部での2年間は明白なロスです。そして社会も専門家を求めています。多くの企業は大学に、学生に「みっちり」専門分野を学ばせてほしいと考えます。

法律を「みっちり」4年間勉強した人と、2年間は教養を学び、法律は2年間しか学んでいない人がいたら、法律に詳しい人材を求めている企業は、どちらを採用するでしょうか。だからこそ、他の大学は類制度も教養学部制度も採用していません。また、北海道大学のように、文科・理科の仕組みを廃止して、通常の学部制度に移行した大学もあります。

東大の主張

2年間のロスについては、先ほど紹介した東大教養学部長の石井洋二郎氏も認めていて、東大公式サイトで次のように述べています。

自分の学生時代を振り返ってみると、いわゆる一般教養科目は「パンキョー」と呼ばれてなんとなく軽視される風潮があった。(中略)教養課程などさっさと終えて、早く自分の専門がやりたいと思っている者が少なくなかった。

 

引用:http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/561/open/B-1-1.html

しかし、それでも東大が前期課程制度を維持しているのには、理由があります。東大の使命は、中長期的に日本及び世界を方向づけていくリーダーを育成することなのです。東大は、短期的に社会で役立つ即戦力を養成することを目的にしていません。

各界をリードする人材を育成するため、本物のエリートになるため

東大は、単なる司法試験合格者を育成しようとは考えていません。司法試験に合格し、裁判官になり、最高裁判所の裁判官となる人物を育成しようとしています。東大は、単なる医者を育成しようとは考えていません。医師免許を取得して、大学病院で働き、大学病院長や教授になり、日本の医療を進化させる人材を育成しようとしています。

東大は、単なる行政パーソンを育成しようとは考えていません。高級官僚になって、政治と行政を正しい方向に導く人材を育成しようとしています。東大は、単なる政治家を育成しようとは考えていません。内閣総理大臣になるような人材を育成しようとしています。東大は、単なる研究者を育成しようとは考えていません。ノーベル賞を獲得できる研究者を育成しようとしています。

つまり、東大はエリートを育成するために、全学生に教養学部で学ばせているのです。

まとめ

すべての学生が「2年間も」教養学部でリベラル・アーツ教育を受けることは、東大のアイデンティティといえるでしょう。普通、教授も学生も社会も、専門領域を徹底的に学ばせたい、学びたい、学んでもらいたいと考えるでしょう。効率化や生産性が求められる現代であればなおさらです。

法学部生になる学生が物理を学び、工学部生になる学生が歴史を学ぶのは「無駄」とされ、多くの大学では教養を教えることが少なくなりました。しかし、専門家ではなく、専門家を束ねて率いる人材になるには、教養が必要になります。東大受験生は、東大生という学生になると、東大と社会からこれだけのことを期待されることを覚悟する必要があるでしょう。

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