上智大の神学部では何を学ぶのか
上智大には神学部があります。そして上智大にとっての神学部は「最も重要」な学部で、公式ホームページでの学部紹介では、常に最初に紹介されます。それは神学が上智大の創学に関わる学問だからです。
出典:https://www.sophia.ac.jp/jpn/program/index.html出典:https://adm.sophia.ac.jp/
ただ、法学部や経済学部、文学部に比べると、神や宗教を学ぶ神学部の一般的な認知度は高いとはいえません。また、宗教や神を受け入れることに抵抗を感じる日本人は少なくないので、率直に「大学で神学を学ぶ意義がわからない」という人もいるでしょう。そこで超有名大学の知られざる学部について解説します。また、上智大神学部の卒業者の就職先についても紹介します。
上智大神学部とは
上智大はすべての学部にキャッチコピーをつけています。例えば、法学部のキャッチコピーは「法的素養を身につけることは、どこでも通じる強みを手に入れること」となっています。法律の知識は一般社会でもビジネスシーンでも「武器」になるので、法学部卒者はまさに強みを手に入れたといえるでしょう。
神学部のキャッチコピーはこのようになっています。
「現代世界をキリスト教の視座から展望し、真理を探究する」
カトリック・キリスト教
このキャッチコピーから、上智大の神学部の「神」とは、キリスト教の神であることがわかります。つまり仏教の神でも、神道の神でもない、ということです。
もちろん、比較神学や比較宗教学といった研究分野があり、そこでは他宗教やその他の神を考察することもあるかもしれません。しかし、上智大の神学部生は「キリスト教の視座」を持つ必要があります。視座とは、視点や観点より強い言葉です。
そして、上智大の神学部は、日本で唯一のカトリック・キリスト教の神学部です。例えば、同志社大の神学部はプロテスタント・キリスト教の神学部です。
何を学んでいるのか
キリスト教の教会に行ってキリスト教について学ぶことと、上智大の神学部に入ってキリスト教を学ぶことは、「まったく異なる」ということもできますし、「まったく同じ」ということもできます。どういうことなのでしょうか。
神学も人文科学、したがって客観的な研究をする
上智大の神学部で学ぶ内容は、あくまで人文科学です。人文科学には、法学や経済学、社会学などが含まれます。つまり科学である以上神学も、客観的な研究をする学問です。大学で学ぶ神学は、宗教の神的体験や霊的体験とは別物と考えるべきでしょう。
欧米ではキリスト教は教養のひとつになっていて、神学と思想と哲学は密接不可分の関係にあります。また、神学は歴史学や文学や芸術学と近い関係にあります。例えば、どの国の歴史でも、宗教は重要な役割を果たしています。宗教色を帯びた文学や美術、芸術は無数にあります。
建築物にも宗教が反映したものが多くありますし、現代の国際社会でも宗教的な見地は重要です。このように、神を信じることと、上智大で神を学ぶことは、やはり異なる営みと考えることができます。
上智大神学部は神学について、哲学、聖書、歴史、教養、倫理、文化からなる総合的な学問であり、人々や社会、環境について、超越した視座から研究することができる、としています。
どのように生きるのか、を常に問われる
その一方で、上智大の神学部長、川中仁氏(神学科教授、イエズス会司祭、新約聖書学)は「神学では学問することと生きることはひとつになっている」「神学する者は、どのように生きるのかを常に問われている」と述べています(肩書は2019年7月現在)。この言葉からは、キリスト教という宗教を信じる行為と神学という学問が一体になっているような印象を受けます。
また、キリスト教を信じる受験生が上智大の神学部に入れば、教会で神を称えることと大学で学ぶことはリンクします。そういった意味では、両者は同じです。また、上智大神学部の目標のひとつに、神学の専門家、聖職者、宗教科の教員の育成があります。これはキリスト教の拡大に寄与することから、教会での学びと神学部での学びは強く結びついているといえます。
神学系、キリスト教倫理系、キリスト教文化系の3系統
上智大神学部では3年生から専門分野を深めていくことになりますが、神学系、キリスト教倫理系、キリスト教文化系の3系統から1つを選択します。
神学系では、カトリック神学を徹底して学びます。教会の司祭や神父などの聖職者を目指す人向けのカリキュラムになります。大学院に進むと、バチカン教育省が認可する「STB、STL、STD」といった特別な学位を取得することができます。
キリスト教倫理系では、キリスト教的価値観に立脚して、人間や命、社会正義などについて研究します。キリスト教文化系では、思想や芸術の分野を研究し、キリスト教の現代的意味を探ります。
キリスト教を信じていないと入学できないのか、入試は?
上智大神学部の学生には、キリスト教を信じている人が多く在籍していますが、キリスト教を信じていなくても神学部を受験することはできます。上智大の出願資格のなかに、キリスト教に関する項目は1行もありません。
ただ上智大の神学部の一般入試(学科別)は1次試験と2次試験があります。法学部や経済学部には2次試験はありません。
神学部の1次試験は外国語(英語、ドイツ語、フランス語から1科目)90分150点、国語(国語総合、現代文B、古典B)60分100点、地理歴史(日本史B、世界史Bのうちから1科目選択)60分100点の3科目です。
2次試験は小論文(60分)と面接です。面接では「神学部に入りたい動機、理由」「キリスト教のどのようなところがいいと思ったか」「日本でのキリスト教の現状についてどう思うか」「聖書の好きな箇所」「高校で頑張ったこと」などを聞かれます。
つまり、キリスト教を信じていなくても神学部の入試を受けることはできますが、キリスト教に関心を持っていないと、面接では不利になるでしょう。この点は、法学部や経済学部など、他の文系学部と大きく異なる点です。例えば、どの大学の法学部でも、受験生に法律の知識は期待していません。大学の法学部は、学生にゼロから法学を教えます。
しかし、上智大の神学部は受験生に、キリスト教に関する知識のベースを持っていることを期待しています。そしてできればキリスト教に愛着を持っていてほしいと考えています。それは、キリスト教の考えが世界をよくすると考えているからです。
どのような受験生が上智大の神学部を目指すのか
では、上智大の神学部を目指す受験生はどのような人たちなのでしょうか。2019年度の入学式で、神学部の新1年生のAさんが入学の言葉を述べました(*)。
入学の言葉を述べるのは、どの大学でもトップで入学した人なので、Aさんの考え方は「ザ・上智」ということもできます。
Aさんの言葉のなかから「神学部受験生像」を探してみましょう。
イエズス会士の意思を心にとめておくことが上智大生の使命
Aさんはまず「この大学(上智大)に集う者の使命」として、イエズス会士の意思を心にとめておくことを挙げています。
イエズス会は、スペインで6名がおこしたカトリックの男子修道会が起源になり、世界中に広まりました。日本には1549年にザビエルによってイエズス会の教えが伝来しましたが、その流れはいったん途絶えます。そして1903年にイエズス会の会員が日本に再渡来して、上智大などを経営することになりました。
上智大生になったからには叡智を身につけよう
Aさんは上智大の校名の由来である叡智こそ、上智大生が追い求めるべき対象であるとしています。現代日本は、グローバル化やデジタル化、価値や倫理の多様化によって、多くの課題を抱えることになっています。Aさんは叡智こそが、世界が目指すべき本質を見抜く力であると考えます。
上智大で学べば物事の真理にたどり着くことができる
Aさんにとって上智大は、1)日本有数の素晴らしい学習環境を持ち、2)各専門知識を学ぶことができ、3)現代社会に山積する地球規模の課題を解決するヒントをみつけることができ、4)物事の心理にたどり着くための多面的なアプローチを模索できる学び舎(まなびや)です。
そして上智大は、ほぼすべての機能が、東京・四谷のキャンパスに集約されています。そのため学生はいつでも、自分が所属している学部・学科・専攻以外の分野に手を伸ばすことができます。つまり上智大生は、総合的な知を構築するチャンスに恵まれている、ということです。
そのうえでAさんは、次のように宣誓します。
「叡智の探求を信念として、複合的な知識を、自分のためだけでなく、他者のために役立て、真理の光に照らされた希望ある社会の実現のために働く人になりたい」
Aさんは上智大神学部で、国際交流を深めたり、世界を多角的に俯瞰する視点や知識に立脚した教養や高い専門性を身につけたりする学生生活を送りたいと考えています。
そして、よりよい世界を創造する一員になることを目指しています。
見事なスピーチ
Aさんのこの入学の言葉は、見事というよりないでしょう。とても、少し前まで高校生だった人の言葉とは思えません。先ほど、神学は哲学や思想に近い学問であると紹介しましたが、この言葉からは哲学も思想も感じます。このようなスピーチができる人が上智大神学部を目指しています。そして上智大神学部を目指すにはこれだけの素養が必要というわけです。上智大神学部を目指す受験生は、合格の暁には、このような人と同期になれることを知っておいてください。
*:http://www.sophia-theology.org/img/makita_2019.pdf
卒業後の進路は、就職は
企業への就職がしやすい文系学部といえば、法学部と経済学部が2トップですが、神学部はどうなのでしょうか。
「一般論では」神学部卒であることが企業就職において有利に働くことはない、といえるでしょう。企業の採用担当者の多くは、神学部卒者や神学部卒業見込み者から履歴書が届いたら「なぜこの人は神学を選んだのだろうか」と思うでしょう。または「神学を学んだ人が、なぜうちの会社に入りたいと思うのだろうか」と考えるかもしれません。
実は、文学部も企業就職では有利とはいえません。法学や経済学に比べると「ビジネス色」が薄いからです。ビジネスはお金を追求する場であり、経済性と社会性と合理性と効率化が求められるからです。文学はむしろ、経済性、合理性、効率化から離れた場所にあります。
そして神学は、文学よりも経済性、合理性、効率化から離れていると、一般社会では考えられます。
ただこれらは「一般論」であり、上智大の神学部となると話が違ってきます。企業にとって高偏差値大学や有名大学の卒業生を採用することは、一種のステータスになっています。企業の本音は「神学部でも上智大卒なら採用したい」となるでしょう。
したがって上智大神学部OB・OGは一流企業に就職しています。東証一部上場企業で、上智大神学部卒者が入社できない企業はないでしょう。
ただ、神学部卒業者で企業就職する人は4割程度にとどまります。2割はカトリック教会の司祭や修道者へ、2割はカトリック学校の教職へ、そして残りの2割は大学院に進学します。
上智大学の成り立ちとカトリック
上智大は学校法人上智学院が経営・運営していますが、その学校法人の母体は、ローマ・カトリック教会に所属するイエズス会です。上智大のメーンキャンパスは東京都千代田区の四谷駅前に広がるビル群になりますが、その一角に聖イグナチオ教会があり、この教会はイエズス会が経営しています。
イエズス会のドイツ人、ヨゼフ・ダールマン師が1903年に日本に上陸しました。そのときダールマン師は、日本のカトリック信者から、日本にカトリック教会の基盤になる大学をつくってほしいと要請を受けました。ダールマン師が1905年にローマ教皇(いまのローマ法王)ピオ10世に拝謁したところ、日本に大学を設立すると約束されました。その結果、1913年に上智大が誕生したのです。
四谷駅(手前)の向こうに上智大のメーンキャンパスになるビル群が広がります。左側の低い円筒の建物が聖イグナチオ教会です。
まとめ
すべての大学入学は、「なぜその大学、なぜその学部で学びたいのか」が明確になっていることが理想です。しかし、学部に関する情報を持っている受験生は多くはありません。実際の受験生たちは、自分の学力や大学の偏差値、ブランドなどを重視して受験する大学学部を決めています。
しかし、上智大神学部に限っては、そのような決め方では受験しないほうがいいかもしれません。なぜなら人文科学のなかでも神学は特殊だからです。上智大神学部でも一般社会に適応した教育を提供していますが、ただ教えのベースになっているのはあくまでキリスト教であり、カトリックです。文系理系を含め、日本の大学のその他の学部で宗教的な思想がベースになっている学問はありません。
上智大神学部が入試で面接を課しているのは、その点を確認したいからでしょう。キリスト教の知識のベースがないと、神学部での4年がつらくなるでしょう。それを学生に味わわせたくないので、入学を許可する前に受験生に直接会っておくのです。