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東大赤門とは?東大志望者が知っておきたい東大赤門の歴史

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東大といえば、多くの人が思い浮かべるのが「東大赤門」でしょう。テレビやネット、書籍などでも、赤門が東大のイメージとして描写されているシーンが多く見られます。しかし、東大赤門がどのような歴史を持つ門で、なぜ現在東大にあるのかまではご存じない方も多いでしょう。そこで、この記事では東大赤門についての概要や東大赤門の歴史に加え、東京に現存する赤門、赤門以外の歴史的建造物についてもご紹介します。

東大赤門とは?

まず、東大赤門の概要について説明します。

・東大赤門の概要
東大赤門は、東大本郷地区キャンパスにある大学最古の建造物です。正式名は「旧加賀屋敷御守殿門」といい、国の重要文化財に指定されています。赤門は、加賀(今の石川県)の大名・前田家が、将軍家から妻を迎えるにあたって建てた朱塗りの門です。明治時代に加賀屋敷の跡地に東大が作られると、赤門はその管理下に置かれました。

赤門中央部は、「薬医門」と呼ばれる建築形式で、屋根は瓦葺きの切妻造(山型の屋根)です。屋根の上部にある棟瓦(むながわら)には徳川家の葵の紋、軒の丸瓦には前田家の家紋である梅鉢がかたどられています。赤門の左右には、唐破風造本瓦(からはふづくりほんがわら・中央部が盛り上がり、両端部が反った屋根)の番所が置かれ、その左右に海鼠壁本瓦葦(なまこかべほんがわらぶき)の塀があります。

「海鼠壁(なまこかべ)」とは、壁に平瓦を貼り付けた目地を漆喰でなまこのように盛り上げて塗る壁のこと。高い防火性や保温性、保湿性に優れて風雨に強いのに加え、見た目の美しさも印象的です。もっと印象的なのは、朱漆が一面に塗られた木造部分。鮮やかな朱の門扉は、見る者を圧倒する美しさがあります。

前田家が将軍家の姫を正室として迎えるにあたり、その資金力で贅を尽くした赤門を建造したことがうかがえます。そんな東大赤門は、東大のシンボルであると同時に、加賀百万石を体現する貴重な歴史的建造物だといえるでしょう。

・東大と赤門との関係
東大赤門が東大のシンボルとなったのは、本郷キャンパスが加賀藩江戸上屋敷の跡地であることに関係があります。東大本郷地区キャンパスがある場所は、元加賀藩、つまり前田家の江戸上屋敷がありました。赤門は、その御守殿(「御住居(おすまい)」ともいう)の表門として使われていたもので、現在地より15メートルほどキャンパス寄りにあったとのこと。

しかし、医学部建設にともない、1903年(明治36年)より現在地に移設されました。その後、1931年(昭和6年)に国宝指定された東大赤門は、東京大空襲の戦火でも焼失を免れ、1961年(昭和36年)には解体修理が行われました。それから、約60年経った今も赤門は当時の姿のまま現存しています。

・東大赤門は東大のシンボルであると同時に希少な重要文化財でもある
歴史のある東大赤門ですが、今や東大のシンボルとしての知名度が高い印象です。しかし、東大赤門は国の重要文化財に指定された希少な歴史的建造物でもあり、多くの歴史愛好家を魅了してきました。また、国内外から多くの観光客が東大赤門を訪れていることは周知の通りです。

そのような背景もあり、東大では「東大キャンパスツアー」を催行するほか、キャンパス内の一部を公開。一般の人でも楽しみながらキャンパス内を探索できます。

・東大赤門は「正門」ではない
ご存じの方も多いかもしれませんが、赤門は本郷地区キャンパスの正門ではありません。正門にあたる「本郷正門」は、赤門より少し北に位置しています。また、本郷正門を入ってまっすぐ進むと、赤門と同じ東大のシンボルで、かつて東大闘争の舞台にもなった大講堂(安田講堂)があります。それらの建造物については、のちほど改めて説明します。

東大赤門の歴史

ここからは、東大赤門の歴史について解説します。

・東大赤門の沿革
東大赤門こと旧加賀屋敷御守殿門は、加賀藩13代藩主前田斉泰が11代将軍徳川家斉の息女溶姫(やすひめ)を正室に迎える準備として、1827年(文政10年)に建てられました。江戸時代は、従三位(じゅさんみ)以上の大名が将軍家の姫を正室として迎える場合、正室を御守殿または御住居(おすまい)と呼ばれる奥御殿に住まわせます。

その奥御殿の門を朱塗りにするのが当時の慣例となっていました。それが「御守殿門」です。朱塗りの御守殿門は、表門の呼称である「黒門」に対して「赤門」と呼ばれ、奥屋敷の表門として、奥方をはじめとする奥屋敷の住人の玄関口となっていました。そのような歴史を持つ赤門は、1877年(明治10年)に東京大学の管理下となりました。

そして、1945年(昭和20年)の東京大空襲による消失を奇跡的にまぬがれ、その後1961年(昭和36年)の解体修理を経て現在の姿になり、多くの受験生が東大生として東大赤門をくぐることを目標としています。

・「赤門」は校友会の名称にも使われている
東大赤門は、その呼称においても東大のシンボルとしての役割を果たしています。例えば、東京大学の学生、教職員、卒業を対象とする校友会の名称(赤門学友会)にも、長年「赤門」の2文字が使われていました。「赤門学友会」は、2002(平成14)年に「東大校友会」と名称を改めましたが、今でも「東京大学インド赤門会」など、赤門を冠した名称を持つ地域校友会は存在しています。

このように、東大赤門は「東京に現存する唯一の赤門」と「東京大学のシンボル」の2つの顔を持っています。そして、東大の学生や卒業生、多くの歴史愛好家に愛され、東京の観光名所としても有名になりました。東大を目指す受験生は、そのような東大赤門の歴史的背景はもちろん、赤門と東大の学生や卒業生との関係にも目を向けてみると面白いかもしれません。

東大以外にも赤門がある?各地の赤門をご紹介

かつて、江戸の赤門は旧加賀屋敷のほかにも複数存在していました。しかし、赤門が消失しても再建を許さぬ慣習があったため、火事や空襲で焼失した赤門は残っていません。それをふまえたうえで、今はない赤門の元所在地や、東大赤門以外に現存する赤門についてご紹介します。

・江戸時代には複数の赤門が存在していた
江戸時代には、江戸市中(現在の東京23区内)に10ヵ所以上の赤門が存在したといわれています。先述の通り、赤門は将軍家の姫が従三位の大名に降嫁する際に建立された朱塗りの門です。加賀藩以外では、尾張藩や紀州藩、一橋家など、徳川家とゆかりのある大名家、倒幕勢力となった長州藩、その長州藩と戊辰戦争で激しく対立した会津藩などに将軍の姫が嫁ぎ、それらの大名屋敷に赤門が建立されました。

赤門があった大名屋敷は、現在は防衛相市谷駐屯地や小石川後楽園、国土交通省などになっており、赤門の面影すら残っていません。たび重なる大火や東京大空襲などで赤門の大半が焼失しても再建されなかったことが大きな理由として挙げられます。しかし、わずかながら現存している赤門が、東大赤門のほかにもあります。

・元酒井雅楽頭屋敷の赤門:「西教寺表門」
東京に現存するといわれている赤門の中で出自が確かなのが「西教寺表門(文京区有形文化財)」です。西教寺は、文京区本郷にある浄土真宗本願寺派のお寺で東大赤門にも近い場所にあります。この赤門は、大手町にあった酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の屋敷にあったものです。

第5代姫路藩主酒井忠学が、将軍家の喜代姫を妻として迎えるにあたって建てられました。明治時代に入り、1874年(明治7年)に西教寺表門となった赤門は、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けて屋根の修理を行いました。しかし、その後は空襲や火災で焼失することなく、現在もお寺の玄関口を守っています。

なお、世田谷区の豪徳寺にも赤い門があります。豪徳寺が井伊家の菩提寺であることから「赤門説」が浮上していますが、現時点では確定していません。

東大赤門だけじゃない!本郷地区キャンパスは歴史的建造物の宝庫

東大赤門は高い歴史的価値を持つ建造物で、国の重要文化財に指定されています。しかし、東大本郷地区キャンパスには、赤門のほかにも貴重な歴史的建造物があります。

国の登録有形文化財

国の登録有形文化財に登録されている建造物は複数ありますが、玄関口の「本郷正門」と、東大キャンパスツアーのコースになっている「大講堂(安田講堂)」について詳しく説明します。

・本郷正門及び門衛所
本郷地区キャンパスの正門と門衛所です。1912年(明治45年)に建てられました。本郷正門は冠木(かぶき)門という伝統的な形式で、冠木の最上部のデザインは吉兆を表す瑞雲から昇る朝日がかたどられています。また、門扉の模様は、青海波(波立つ海を模した柄)と縦格子、唐草模様で構成されています。

一方、門柱は鉄骨の柱を花崗岩で張り上げており、全体像は東大の正門にふさわしい重厚な趣が感じられます。

・大講堂(安田講堂)
安田善次郎(安田財閥の祖)の寄付により、1925年(大正14年)に建てられたレンガ造りの講堂です。卒業式やオープンキャンパスなどで使われるほか、東大キャンパスツアーのコースにもなっています。中央最上部に時計を設置した独特なデザインは、設計者の内田祥三がケンブリッジ大学の門塔をヒントにしたもの。

1969年(昭和44年)の東大安田講堂事件紛争で建物の一部が損壊しましたが、安田財閥の寄附により修復されました。その他の有形文化財として、「法文学部1~3号館」「工学部(1号館・列品館)」「弥生キャンパスの野球場観覧席・ダッグアウト及びフェンス」が登録されています。

その他の名所

ほかにも、都の歴史的建造物などの名所があります。ここでは、東大キャンパスツアーコースの名所を中心にご紹介します。

・広報センター(旧医師会事務局)
1926年(大正15年)建築の「東京帝国大学医学部付属病院」の急病者受付所を改装した建物で、東京都の歴史的建造物に指定されています。現在は学内広報施設として改装され、東大キャンパスツアーのコースになっています。

・三四郎池
正式名は「育徳園心字池」ですが、夏目漱石の小説から三四郎池と呼ばれています。こちらも東大キャンパスツアーのコースです。

・御殿下記念館
1977年(昭和52年)、東京大学創立100周年記念事業で、卒業生や経済界による後援資金により建設された運動施設。東大キャンパスツアーではこちらも回ります。ほかにも、東京都歴史建造物に選定された「七徳堂」、ゴシック様式の「農学部3号館」もあります。

東大キャンパスツアーについて

ここまでにご紹介した東大本郷地区キャンパスの歴史的建造物は、一般の人たちも一部見学できます。なかでも、東大キャンパスツアーは東大生がガイドとしてキャンパス内の案内を行い、ツアー後は東大生との交流タイムもあるので好評です。

東大キャンパスツアーの概要

・開催日
毎週土・日(年末年始、入試などの学校休講日を除く)

・予約方法
東大ホームページの申込フォーム(個人)または電子メール(団体)で希望の日時を予約する

・コース
集合場所の東大赤門をスタートし、三四郎池、御殿下記念館、大講堂(安田講堂)を経て広報センターでゴールとなります。(所要時間約2時間)

・東大生との交流
ゴールの広報センターでは東大生との交流タイムがあり、東大の授業や東大生の生活、受験勉強などについての質問もできます。
※現在は新型コロナウイルス流行の影響でツアーを中止しています

・東大本郷キャンパス(赤門)の所在地とアクセス方法
最後に、東大本郷キャンパス(赤門)のアクセス方法を簡単にご紹介します。

最寄駅からのアクセス

東京メトロ地下鉄南北線「東大前駅」より徒歩約1分
東京メトロ地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」より徒歩約8分
都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目駅」より徒歩約6分
東京メトロ地下鉄千代田線「湯島駅」または「根津駅」より徒歩約8分
都営地下鉄三田線「春日駅」より徒歩約10分

東大赤門は本郷通り沿い東大赤門信号前にありますが、目立つのですぐにわかるでしょう。

まとめ

東大赤門は、東大のシンボルであると同時に、東大最古の貴重な建造物でもあります。その歴史的背景を知ることで、赤門が東大にある理由やその歴史を知ることができ、東大への理解がより深くなるでしょう。また、東大には赤門のほかにも多くの歴史的建造物があります。その一部は、一般の人も見学可能で東大生が案内する東大キャンパスツアーにも参加可能です。

もし東大をもっとよく知りたければ、ぜひ東大本郷地区キャンパスを訪れ、その目で赤門をはじめとする貴重な歴史的建造物を見学することをおすすめします。

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