早慶の野球部に入るには?早慶野球戦の歴史についても解説

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高校球児の中には、「いつか早慶の野球部でプレイしたい」「東京六大学野球に出たい」と考えている人もいるのではないでしょうか。しかし、早慶の野球部に入部するには、まず大学受験で合格し、野球部への入部の際もセレクションがあるため、それに合格することも必要です。

そんなハードルを越えて早慶の野球部に入部するためには、それぞれの野球部についての理解を深めたうえで大学合格に向けて準備を進める必要があります。この記事では、早慶の野球部に入る方法や早慶野球戦の歴史について確認していきましょう。

早慶野球戦の歴史

早稲田大学と慶應義塾大学の野球部を知るうえで欠かせないのが、早慶野球戦の歴史です。早慶野球戦は、1903年から始まった伝統ある野球戦ですが、2021年の現在まで続く東京六大学野球大会の前身でもあります。まずは、その歴史をひも解いてみましょう。

早慶野球戦の歴史はプロ野球より長い

早慶野球戦の歴史がプロ野球より長いことをご存じでしょうか?最初に早慶戦が行われたのは1903年11月です。日本にプロ野球が誕生したのが1934年ですから、早慶野球戦の歴史はそれより31年も長いことになります。早慶野球戦の歴史は、早稲田大学が慶應義塾大学に「挑戦状」を送り、その挑戦状を慶応義塾大学が受ける形で両校の試合が実現。

1903年11月21日に慶応三田綱町運動場(「三田綱町」は現在の港区三田2丁目)で行った試合では、創部わずか2年の早稲田大学が創部15年の慶応義塾大学とほぼ互角に戦ったことが記録に残っています。1904年6月には、早慶の野球部がともに当時大学野球界最強の第一高等学校(現東京大学教養学部)を破る強さを見せます。

そして、同年秋には早慶野球戦が野球界の頂上対決として位置づけられ、翌1905年から秋に年3回の定期戦が行われるようになりました。定期戦では、早慶双方の学生やファンによる白熱した応援合戦が繰り広げられたようです。

一度は中断された早慶野球戦

ところが、早慶野球戦は1906~1925年まで19年も中断されました。なぜなら、応援のヒートアップにより両校間にいざこざが生じ、学生同士の衝突を危惧した慶応義塾大学が早稲田大学に早慶野球戦の中止を申し入れたからです。それを機に、早慶野球戦の歴史は長い空白期間に入りました。

早稲田大学によると、日本初のIOC委員や体育協会会長を歴任した嘉納治五郎の働きかけをもってしても、早慶野球戦の復活は困難だったようです。

早慶野球戦の復活と東京六大学野球の始まり

長い空白期間を経て、早慶野球戦が復活したのは1925年のこと。その年は、東京六大学野球が誕生した年でもあります。早慶野球戦の復活と東京六大学野球が誕生するまでにはいくつかの大きな動きがありました。

まず、空白期間中の1914年に東京三大学野球連盟(早稲田・慶應・明治)が誕生します。その後、1917年に法政大学が加わって東京四大学野球連盟となり、1923年に立教大学が加わって東京五大学野球連盟となりました。

しかし、その間も早慶の直接試合は行われませんでした。その事態を重く見た「明治」「法政」「立教」の3大学から「慶應を除く大学野球連盟の再結成」が提案され、それを機にようやく早慶野球戦が復活したのです。

時を同じくして、東京五大学野球連盟に東京大学が加わって東京六大学野球の歴史が始まりました。東京六大学野球は、戦争で一時中断されましたが、戦後に復活して2021年の現在まで続いています。

早稲田大学野球部と慶應義塾大学野球部について

早慶野球戦や東京六大学野球の歴史を知ったところで、次は早慶それぞれの大学野球部について見ていきましょう。

早稲田大学野球部

早稲田大学野球部は、1901年に大学の前身となる「東京専門学校」の野球部として創設されました。その翌年の1902年には「東京専門学校」が「早稲田大学」へと改称されたのに伴い、「東京専門学校野球部」から「早稲田大学野球部」に名称変更されて今に至ります。

早稲田大学野球部では、初代野球部長阿部磯雄氏の「知識は学問から、人格はスポーツから」という言葉や「文武両道」の精神にもとづき、大学野球の範となることを旨として長年活動してきました。

2021年1月現在の部員数(新2~4年生)は110名。1987年から練習拠点となった西東京市で日々練習に励んでいます。そんな早稲田大学野球部が東京六大学野球で優勝した回数は、46回です。2020年秋リーグ終了時点で法政大学と並ぶトップの優勝回数は、実にすばらしい実績だといえるでしょう。

慶応義塾大学体育会野球部

慶応義塾体育会野球部は、1888年に創部され「文武両道」の精神と「エンジョイベースボール」をスローガンに掲げ、100年以上学生野球界のけん引役となってきました。慶應義塾体育会野球部では、創部以来「在学生で4年間野球を続ける強い意志があれば、年齢や高校時代の実績を問わず入部を認める」という方針を貫徹。

しかし、社会情勢の変化に伴い、2018年度からは入部にあたって一定の条件を設定する方針に変わっています。2021年1月現在の部員数は、合計127名。新2~4年生125人と「TEAMMATES入団プログラム(長期療養中の子どもの自立をサポートする事業)」によって入部した2人の子ども部員(TEAMMATE)が在籍。

部員は、練習拠点となる日吉グラウンド(横浜)で日々汗を流しています。なお、2020年秋までの東京六大学野球優勝回数は、37回で早稲田に及びません。しかし、優勝決定戦における対早稲田の成績は4勝1敗と大きく勝ち越しており、慶應が早稲田のライバルとして十分な実力を備えていることがわかります。

早慶の野球部に入るには?

早慶の野球部に入るには、まず大学入試に合格することが大前提となります。しかし、入試の試験方式や野球部入部の条件はそれぞれに大きく異なるため、受験生は注意が必要です。

早稲田には野球の実績で有利になる入試がある

早稲田大学の入学試験には、高校までの野球の実績が選考において有利になる入試があります。

1.共通テスト利用入学試験(共通テスト+競技歴方式)
スポーツ科学部で実施される入試です。高校で大学が定めた出席日数や成績の基準を満たし、なおかつ全国大会レベルのスポーツ大会で好成績を挙げた人が受験できます。共通テストの成績とスポーツ競技歴調査書(出願時に提出)をもとに、大学が合否を判定します。

2.スポーツ自己推薦入学試験(総合型選抜Ⅲ群)
同じくスポーツ科学部で実施。大学が定めた出席日数や成績の基準を満たし、なおかつスポーツで全国大会出場レベルの実績がある人に受験資格があります。いずれの入試も2段階選考となっており、1次選考(書類審査)に通った人のみ2次選考(小論文・面接)に進むことが可能です。これに通ることができれば早稲田大学への合格が認められます。

他にも、指定校推薦入試や一般入試など、他の入試形式で合格した人も野球部へ入部可能です。入部希望者は、合格後すぐ野球部に連絡して入部の意思を伝えましょう。ただし、入部にあたってはセレクションがあります。また、中途入部やマネージャー、学生コーチ志望者の入部は受け入れていません。

慶応にはスポーツで受験できる入試がない

慶應義塾大学には、早稲田大学のように野球の実績で有利になる入試はありません。他の受験生と同じ条件で大学受験に合格することが、野球部入部の必須条件です。もちろん、指定校推薦やAO入試などでは、高校時代の野球の実績が多少考慮される可能性はあります。

しかし、基本的には、野球で高い実績がある人でも「高校の学業成績」「入試当日の試験の結果」で合否が決まると考えた方がいいでしょう。慶應義塾大学に合格すると野球部入部の資格が得られますが、入部に当たってはセレクションがあります。

セレクションでは、入部動機などが考慮されるほか、種々の項目に関する研修を実施。その結果、野球部長が認めた人のみが入部を許されます。ただ、どちらの大学もすべての入試において高い学力が要求されるため、まずは大学合格に向けて高い学力をつけることが大事です。

学業・野球で地道な努力を続ければ早慶野球部への道は開ける

早慶野球部に入部するルートは若干異なりますが、まず大学入試で合格することが野球部入部の必須条件です。そのうえで野球部のセレクションに合格する必要もあるため、入部のハードルは高いといえます。

しかし、受験までに学業・野球の両方で地道に努力を続けていれば、いずれにおいても高い実力がつき、早慶野球部入部への道も大きく開けるでしょう。

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