大学受験に落ちたら「こう考えて」次に進む
大学受験で不合格になったらどうしたらいいのでしょうか。相当深く落ち込む人もいると思います。しかし大学受験に落ちても、必要以上に気持ちを沈ませる必要はありません。テストに失敗したからといって、人格が否定されるわけではないのですから。
大学受験に落ちたら、気持ちを切り替えて次の道を進むべきです。
今回は前進するための「一歩の踏み出し方」をアドバイスします。彼ら彼女たちは浪人生活の毎日を建設的に生き、希望の大学への合格を実現させる可能性が高いでしょう。
大学受験に落ちることは、浪人して「より偏差値が高い大学」に行く好機
大学受験の不合格を最もポジティブにとらえる方法は、「浪人してより偏差値が高い大学に行くチャンスがもらえた」と考えることです。
現役で合格できる大学が偏差値55までだったとしたら、浪人生活という名の1年間の勉強を加えることで偏差値60の大学が射程内に入ってくるかもしれません。次の2つのうち、社会人として有利なのはどちらでしょうか。
A:現役で偏差値55の大学に入って、一浪の人より1年早く社会に出る
B:一浪で偏差値60の大学に入って、現役合格の人より1年遅れて社会に出る
もちろん個人差はありますが、Bのほうが有利と答える方も多いのではないでしょうか。社会では1年ぐらいの遅れは簡単に取り返すことができます。しかし卒業した大学のブランド力は、現役の社会人である限りある一定の効果を持ち続けます。いや、現役を引退しても「○○大卒」は威力を持ち続けることでしょう。
そして少子化と人口減が進んだ現代は、大学を選ばなければ誰でも大学生になることができる「大学全入学時代」といえるかもしれません。
つまり「大学を出た」ことの意味はほとんどなくなり、「どの大学を出たか」がますます重要になります。
大学受験に落ちた人のなかには、それほど多くはありませんが、すべての大学の不合格を知った瞬間から「これでよい」と切り替えられる人がいます。
そのような人は、すぐに前を向き、浪人生活に突入していきます。彼ら彼女たちは浪人生活の毎日を建設的に生き、希望の大学への合格を実現させる可能性が高いでしょう。
受験生は全員「落ちたらどうしよう」と考えながら勉強している
確かに、次のAまたはBの選択であれば、人生としてはBのほうが有利と考えることができます。
A:現役で偏差値55の大学に入って、一浪の人より1年早く社会に出る
B:一浪で偏差値60の大学に入って、現役合格の人より1年遅れて社会に出る
しかし次のBとCの選択であれば、どちらが有利でしょうか。
B:一浪で偏差値60の大学に入って、現役合格の人より1年遅れて社会に出る
C:現役で偏差値60の大学に入って、浪人の人より1年早く社会に出る
もちろんCのほうが理想の姿です。したがって「浪人はしないに越したことはない」ということができます。
だからほとんどすべての受験生が「落ちたらどうしよう」と不安になりながら勉強をしています。例えば受験のトップ集団である東大合格を目指す人たちですら、毎日「東大ではなく一橋大に志望を変えたほうがいいだろうか」という不安を抱えているのです。
だから「受験に落ちたらどうしよう」という不安を持つことは、極めて健全な心の状態なのです。不安が募ってきたら「じゃあ勉強しよう」と思ってください。
「不安→落ちたくない→ではどうしたらいいだろうか→じゃあ勉強しよう」と考え方を変えていくことで、ネガティブな気持ちを前進するためのエネルギーに変換してしまうのです。
そして「受験に落ちたらどうしよう」という不安こそ、合格が難しい大学に挑んでいる証拠です。不安を抱えている人は、「私はいま厚くて高い壁に挑んでいる」と自分を誇ってあげていいのです。
第1志望に落ちて第2志望に受かったらどうしよう
もし受験の結果が、第1志望の大学に落ちたものの第2志望の大学に合格していたらどうしたらいいでしょうか。
第2志望大学に行くか、浪人するか、大学受験をやめるかは自分で決めるしかありませんが、例えば次のようなルールをつくることはできるのではないでしょうか。
・落ちた大学と合格した大学の偏差値の差が5以上離れていれば浪人する
・偏差値の差が4以下なら受かった第2志望の大学に入学する
上記の偏差値5や偏差値4はあくまで目安ですので、自分の基準で数字を定めてください。
このようなルールを決めておけば、納得して浪人することができますし、納得して第2志望の大学に入ることができます。
また「一浪の値段」を考えてもいいでしょう。
一浪すると、まずは予備校の授業料として1年でおよそ80万円くらいかかります。そして社会に出るのが1年遅れるので、現役で社会に出た人より生涯年収が1年分減ります。それが仮に300万円とします。
つまり「浪人することに370万円以上の価値がある」と計算できたら、合格した第2志望大学を蹴って浪人し、第1志望大学にもう一度チャレンジすればいいのです。
そして「第2志望の大学で十分満足だ。入学する大学をグレードアップさせるために370万円も支払うのはもったいない」と感じたら、合格した第2志望大学に入学すればいいのです。
それでも充実したキャンパスライフを送ることができます。
大学受験は「挑戦」にすぎない。「人生そのもの」ではない
大学受験に落ちることを必要以上に怖がっている人は、大学受験のことを「人生をかけた戦い」と思っているのではないでしょうか。
入試を受けたすべての大学に落ちて浪人生活をスタートさせたのに、5月になっても気分が沈んでいる人は、大学受験に落ちたことを「人生の失敗」ととらえているのではないでしょうか。
どちらの考え方も間違っています。大学受験は人生そのものではなく、単なる「一時的な挑戦」にすぎないのです。陸上の短距離走の選手すべてが100メートルを9秒台で走れるわけではありません。しかし10秒台の選手も11秒台の選手も、それより時間がかかっている選手も、100メートル走に挑戦し続けています。
それは、自分が挑戦するジャンルは、誰が何を選んでもいいからです。
親から「絶対に医学部に入るように」と厳命されている受験生もいるでしょう。そのような人は「受験=人生の成否をかけた戦い」と考えてしまっているかもしれません。
しかしそれは健全な考えとはいえないかもしれません。
医学部受験で培った数学と化学と物理と生物の学力を使って工学部や理学部や薬学部に転身すれば、例え医者になれなくても1級建築士や薬剤師になることができます。企業の社員として社会貢献することもできます。
医学部に入れるかどうかは、入試の点数の問題です。入試の出来不出来は、運に左右されることもあります。
受験に落ちることはつらい経験ですが、人生の価値はそれでは決まりません。
大学を卒業して社会人になり、この社会を「どのようにしてよりよいものに変えるか」が、人生の一大事なのです。
大学受験の「通常の不安」は勉強を推進させるエネルギーになりますが、「過度の不安」は健康に悪影響を与えるストレスになってしまいます。悪質なストレスをためすぎると、試験当日に実力を発揮できなくなります。
「受験は人生そのものではない、単なる挑戦だ」と考えるようにしてください。
次に進むには「挑戦の内容は変えていい」と考えよう
もし一浪をして臨んだ受験ですべての大学に落ちてしまったら、どうしたらいいのでしょうか。
もしくは、二浪して臨んだ受験に落ちてしまったら、何をすべきなのでしょうか。
受験は挑戦なので、挑戦の内容を変えることは自由です。確かに偏差値60の大学を目指して浪人までした結果、偏差値55の大学にしか合格しなかったら、落ち込むでしょう。
しかし偏差値が低い大学でも、大学は大学です。高校までの授業より、内容が濃い講義を受けることができます。自由な時間も増えるので、これからの人生をじっくり考えることもできます。
大学や大学教授や大学で出会う新しい友人たちは、人生の糧になるはずです。
そして大学受験で満足な結果を残せなかったら、次は国家資格を目指せばいいのです。特定の学部を出なければ取得できない国家資格は、医師免許と歯科医師免許と薬剤師免許などに限定されます。
1級建築士も税理士も弁護士も、実務経験を積んだり勉強をしたりすることで取得できます。
例えば、偏差値60の大学の法学部を卒業した無資格者と、偏差値50の大学の法学部を卒業した司法書士では、後者のほうが生涯年収も社会的な地位も高くなる可能性があります。
つまり次のような公式が成立するのです。
・偏差値60の大学卒+無資格<偏差値50の大学卒+国家資格
大学受験の勉強を苦手にする人はたくさんいますが、そのなかには国家資格の受験勉強を得意にする人もたくさんいます。
第1志望の大学に合格しなかったらその悔しさをエネルギーに換え、第2志望、または第3志望の大学行き、国家資格の勉強を進めればいいのです。
ただ「大学だけがすべてではない」という考え方をするのは「ちょっと待って」
受けた大学のすべてに落ちて、「大学だけがすべてではない」と考え直して、浪人せず就職することについて考えてみましょう。
実はビジネスでの成功者に高卒者は多いのです。それは当然といえば当然です。偏差値の高い大学に入れるかどうかは、英語や数学や現国などの「点数」だけでほぼ決まります。しかしビジネスの成功や、創造的な製品づくりや、独創的なサービスのアイデアは、「点数」が高いだけでは生まれません。そこに大卒者も高卒者も関係ないといえるでしょう。また、高卒で早くから社会経験を積むというのは大きなメリットにもなり得ます。
だから、大学受験に落ちたら就職に進路を切り替えることは「あり」です。
しかし、覚悟を決めて高卒就職するのではなく、妥協するかたちで高卒就職することはあまりおすすめできません。なぜなら、大学生になることへのわだかまりを抱えたまま会社に入ってしまっては、ずっと後悔の念を持つかもしれないからです。
日本のビジネスシーンはまだまだ学歴社会なので、高卒者より大卒者のほうが出世しやすい企業はたくさんあります。実力があっても高卒者に大きな仕事を任せない会社も少なくありません。そもそも高卒者を採用しない会社もあるくらいです。
そのような学歴社会の環境は、妥協するかたちで高卒就職をした人にはつらいでしょう。
そのような思いをするくらいなら、やはり浪人して大学入学を目指したほうがいいのではないでしょうか。
「浪人生活は楽しかった」という人もいる
大学受験に落ちて浪人生活を送り、その後、大学生になれた人のなかに「浪人生活は楽しかった」という人は少なくありません。
また「楽しい」といわないまでも、浪人時代のことを長年にわたってまざまざと覚えている人はたくさんいます。
それは、浪人時代は生活も精神も濃厚になるからです。10代後半という思春期に味わう挫折は、その後の人生の糧になります。そして浪人時代の「勉強さえしていればよい、勉強しかしてはいけない」という時間は、精神を鍛えます。 人生で、失敗も落選も自己嫌悪も経験せずに過ごせる人はいないでしょう。受験に落ちることは、人生最初の本格的な苦しみかもしれません。それを乗り越えれば、確実に成長できるはずです。
防衛大学校は給料が出る
もし家庭の経済事情で現役の大学受験に落ちたら高卒就職しなければならない人がいたら、防衛大学校を目指して浪人してみてはいかがでしょうか。
防衛大学校は4年制で学士号を取得することもできます。しかも授業料は無料、食事も無料、学生寮も無料、制服も無料、さらに給料も支給されます。
防衛大学校なら大学生活にお金がかからないので、浪人生活に多少コストをかけてもやりくりできるのではないでしょうか。
また大学に入りさえすれば、さまざまな奨学金を使うことができます。
「大学に入りたい」と強く願っている人は、大学に落ちたくらいで大学進学をあきらめる必要はありません。
まとめ
ネガティブな考え方は、非生産的であり非効率的で、実りがありません。
受験後のことをイメージするなら「落ちたらどうしよう」と考えるのではなく、「受かったら何をしようか」と考えたほうが、生産的かつ効率的かつ創造的です。
不安感や「なにくそ」という思いは、受験勉強のカンフル剤にはなるでしょう。しかしネガティブ思考によって生まれたエネルギーはすぐについえてしまいます。
受験は1年以上に及ぶ長丁場です。
大学に入って研究したいことや、大学を卒業した後のことを想像する思考は、勉強漬けの毎日の支えになるはずです。受験では気持ちの持ち方がとても大切です。